こんにちは。森の庵の司会の水野です。
幼いころに歌った歌…何があるかな???
これから20、30年後。。。。
私の頭の中が幼いころに戻って、家族の名前を忘れたり、ご飯を食べたことを忘れたり、
わがままになったり、急に泣いたり、叫んだり、会話ができなくなったりしたとき、
私は頭の中からどんな想い出とどんな歌を拾い出して歌っているのでしょう。
その姿を見て家族はどんな気持ちになるのでしょう。
20年後の私、、お箸を持って、「マハリーク、マハーリタ、ヤンバラヤンヤンヤン♪」(←さて何の歌でしょう?)
家族は、、、、「何?その歌~不思議な歌だね。」と言っているかもしれません。
私が思う理想の葬儀に近いものが、先日森の庵で行われました。
それは家族親族と施設の方でビデオを見ての泣き笑い。
「おばあちゃんらしい葬儀だった」と、
御家族からの言葉がありました。
みんなに愛されたおばあちゃんは96歳。
老衰で亡くなるその日まで、
施設で楽しく過ごしました。
おばあちゃんは戦争でご主人を亡くし、
ふたりの子供を育てました。
時代はこの国が一番厳しかったころです。
辛い日々を送りながらも
「お金がないならないでいい」
悔やまず、愚痴を言わず、
人生の悲哀を見せず、進み続けた人。
目がよく見えなくても、耳が遠くなっても、
それを受け入れ、進み続けた人。
そんな時、おばあちゃんの日々には
明るい歌があったのではないでしょうか?
「ふたりは若い」という歌は
おばあちゃんがよく歌っていた歌。
新婚夫婦がお互いを呼びあう明るい歌。
おばあちゃんは施設でこの歌をよく歌っていました。
歌が終わると、
「ちゃん♪ちゃん♪、ありがとうございました!」
と、歌手のようなエンディング。
おばあちゃん、さすが!憎めない!
童謡もおばあちゃんの得意な曲。
でもその歌詞は、
「カーラース、なぜ鳴くの。カラスはやーめてくださいな♪
ドジョウが出てきてこんにちは。ぼっちゃん一緒に働きましょう♪」
介護士さんは、おばあちゃんの明るさと無邪気な可愛さを残しておきたくて
動画を撮ったのでしょう。
その動画を見せてもらいました。
「あんた、大変やね、大変やね」と気遣う言葉や、
数を数えるとき、
「1、2、3、10、15、21、58・・・」
「あれ、数が飛んだね~」
と言ってまわりを笑わせていました。
お孫さんが持ってきた食べ物があると
食欲がないときでも
「〇〇ちゃんがもってきたから食べようかね~」
と言って食べていたそうです。
おばあちゃんの記憶の中は幼いころと、今とが行ったり来たり。
おばあちゃんが、わかっていても、わかっていなくてもいいのです。
御家族や介護士さんは、おばあちゃんの歌や言葉がとっても愛おしいのです。
とっても素敵な認知症なのです。
おばあちゃんに最期の時が近づいてきました。
御家族はこの施設で過ごせたことを本当に感謝していました。
施設の職員の方はおばあちゃんの知らせをきいて
いろいろなところから駆け付けてきました。
おばあちゃんの体をふいてくれて
「がんばって最期まで看取るからね~」と
声をかけてくれたそうです。
「おばあちゃんみたいな、おばあちゃんになりたい」
「みんなに愛された特別な存在」
「職員も施設の人もおばあちゃんに元気をもらっていた」
そしておばあちゃんは大好きなこの場所で
みんなに囲まれて静かな眠りにつきました。
ご主人には会えましたかね?と、ご家族に聞くと
「あまりにも時間が経ちすぎているので、わからんのじゃない?」
ご主人を他の知らない人と間違っちゃったりして?
想像しても、それはそれで、おばあちゃんらしい。
葬儀ではおばあちゃんのビデオを見ました。
施設の職員さんがいくつか撮ったものをひとつにまとめました。
たった5分のビデオがおばあちゃんの長い日々を語りました。
そのビデオを見て、みんなが笑ったり泣いたり。
葬儀であっても
泣きながら笑い、笑いながら泣き…
寂しさと愛おしさで涙と笑いがとまりません。
みんなが笑ってくれているのを見て、おばあちゃんも喜んでいるはず。
お別れの時、
大好きなプリンをご長男の奥様が口に運んであげました。
おばあちゃんとおよめさんとの絆もここで感じました。
宗像の火葬場までの道のりには、
おばあちゃんが暮らしていた施設があります。
奥様は「施設の近くを通っていくんですね」と喜んでいました。
おばあちゃんに見てほしかったのでしょう。
おばあちゃんの目はあまりよく見えなかったけど、
耳もあまりよく聞こえなかったけど
まわりの温かい笑顔は見えていて
まわりの心のやさしさは聞こえていたかも。
きっと、感謝していることでしょう。
みんなに笑顔を手を振って
「ちゃん♪ちゃん♪ ありがとうございました!(^▽^)/」
と言っているかもしれませんね。
森の庵 水野🎤